Chapter Text
2023.12.23
それは生放送終了後のことだった。榆井希実と花宮初奈は楽屋に並んでXのハッシュタグを閲覧していた。
テーブルの向こうには好奇心強いMira-Cra-Parkの二人が座り、情熱をこめて甲高い声で初奈の物まねに夢中になってる。
『残陽~?』
『残陽かな?』
『『残陽したいな~』』
そして二人は爆笑を上げ、DOLLCHESTRAの二人も口を押えて顔を赤らめて、笑いを抑えていた。
そのカオスの渦の中心にいるCerise Bouquetの二人は苦笑いを浮かべ、弁解する気も止める気もなく、ただスマホをいじってた。
「もう行こ、二人の愛を邪魔しちゃ悪いし、うちラーメン食べたい!」
「あ~うちも食べたい!」
月音こなが立ち上がると、菅叶和が先んじてドアを開け、二人は希実と初奈にウインクして、あっという間に姿を消した。続いて佐々木琴子が「じゃあ私も帰ろ~」と手を振り、よろよろと部屋を出て行く。野中ここなは慌ててスマホをしまい、机の上に散らばった充電器などをバッグに詰め込み、二人に軽く一礼して「お疲れ様でした」と言うと、琴子を追いかけて行った。
波乱万丈の楽屋はようやく静寂を取り戻した。
希実は蓮ノ空と生放送のタグを検索し、Xのみんなが初奈の残陽依存症と私欲発言に引いてるのを見て、思わず笑い声を漏らした。スクリーンショットの自分は顔を赤らめているが、どこか幸せそうでもあった。その時、初奈がポンと希実を叩いた。
「のんちゃん……」
「うん?」
「明日……一緒に出かけない?」
希実は少し驚いた。この神秘的な方が生放送でイチャイチャするだけでなく、自分をデートに誘うなんて。そして、緊張と期待が心の奥から湧いてきた。
「いいよ、ういちゃんどこに行きたい?」
こう返事した瞬間、希実は自分がどこかおかしいと反省し始めた。希実はいつも慎重に言葉を選び、何度も考えてから返事をするタイプなのに、今は腹を空かせたカワウソが小魚を見つけたように、相手の意図を分析する前に可愛い前足がさっさと獲物を掴んで口に放り込んでしまった——より美味しい大トロやウニを待つことすらできず、すっかり釣られてしまったのだ。
初奈は目を細め、笑みが目尻から広がり、最後に口元がほんのり上向きに緩んだ。その仕草に希実の心も揺れた。生放送やライブで大胆にイジってくる初奈は、いつも彼女の描く画伯絵のようにうねってる口元をしたが、希実と二人きりの時には、すぐ別人のように控えめになって、わがままな私欲全開の美女から淑やかで知的な神秘的なお姉さんに戻ってしまう。
初奈のことについて、希実はどう考えても結論に至らなかったーー二人の関係性はただの表面上の営業だろうか、と。例えそうであろうと、ならばなぜステージから楽屋に手をつないで戻る時、彼女はずっと手を離さなかったのか。なぜ二人が同じ空間にいる限り、彼女の視線はいつも自分に張り付いているのか。なぜ彼女と話す時、彼女の声はまるで自分を頭のてっぺんからつま先まで溶かす毒のように感じるのか。
なぜ自分はただ冷静に静観しようと決めたのに、いつもこっそり彼女の声を、彼女の視線を、彼女の触れることを期待してしまうのか。
希実は思考が逸れそうになったことに気づき、やがて考えを止めた。初奈はまるで希実の心ここにあらぬ様子を見抜いていたかのように、にこにこと彼女の視線が自分に戻るのを待っていた。
「明日はクリスマス・イブだよ~近くで行けるところを調べてみたんだけど、これどう?」
初奈が差し出したスマホには、「横浜赤レンガ倉庫クリスマスマーケット」の特設ページが表示されていた。希実はこのイベントを知っていた。子供の頃に家族で2、3回行ったことがあり、毎年クリスマスに開催される有名なイベントだ。
「いいよ。でも明日はすごく混むよ?」
「どこでも混むよ。それに、希実と一緒にクリスマスを過ごしたいんだ。」
初奈は再び平然と、希実の意表を突く願いを口にした。
思考が暴走した意識に追いつく前に、希実はただ無言でうなずくしかなかった。
希実が乗り継いで日本大通り駅に到着した時、約束の午後3時まであと5分ほどだった。家からここまで1時間以上電車に乗る間、希実は昨夜寝返りを打ちながら調べた情報を思い出していた。横浜赤レンガクリスマスマーケットは2010年から開催され、恒例の巨大なクリスマスツリーや数多くのヨーロッパ風の屋台に加え、今年はイルミネーションを展示する「ルミナスガーデン」エリアも新設され、とにかく有名で魅力的なイベントなので、来場者も非常に多く、夜間は入場だけで2時間以上並ぶと言われている。また、今年の開催期間も12月25日までだから、初奈があえてこの2日間に誘いをかけたのも当然だ。
長いエスカレーターを上がって地上に出ると、まぶしい日差しが希実の目を細めさせた。希実は左手をかざし、指の隙間から真冬の青空を覗いた。海のような青い空を綿のような雲がゆっくりと這い、デートには最高の天気だ。視線を少し下げると、待ち合わせ場所の横浜開港記念会館がすぐ目の前にいて、どこか懐かしい素朴な赤レンガの時計塔がその上に角張っている。
希実は両手でコートの前襟を整え、自分の服装を再確認した。新調した白いシャツを肌着にし、クリスマス風の深紅の菱形模様のベストを重ね、最外層には膝まである乳白色のダッフルコート。下半身はグレーの膝丈プリーツスカート、脚には最も暖かい肌色のタイツ、足元はスエード調の茶色のマーチンブーツ。全身に塵一つなく、しわもない。ついでにコートの右襟の内ポケットを触り、丁寧に包んだクリスマスプレゼントが無事に眠っているのを確かめた。昨日の生放送終了後、家に帰る途中で初奈に渡すつもりだったが、クリスマスに誘われたから一旦預けて、今日渡すことにした。最後に希実は右襟を少し開け、軽く首を傾けて香りを嗅いだ。マーメイドオーデトワレの柑橘系の香りは鮮明であった。彼女は満足そうにうなずき、通りの向こうの時計塔へと歩き出した。
向かいの歩道に足を踏み入れる前から、希実はもう遠くに慣れ親しんだ姿を見つけていた。初奈は時計塔の真下の日だまりに立ち、午後の金色の陽光が風にそよぐ髪の一本一本の輪郭を浮かび上がらせていた。彼女の視線は地平線の彼方に向けられ、その様子は流れる巻雲を追っているのように、天外の電波を捉えようとしているようにも見える。希実は思わず呼吸を緩め、初奈から数歩離れた日陰で足を止めた。日向の中に魅せられて、思わず手を伸ばしかけたが、途中で止めてしまった。
儚くて、すぐ壊れそうで。
希実は異次元歌合戦の時に逢田先輩の初奈に対する感想を思い出した。今日もしお出かけの約束がなく、ただ街で偶然初奈に出会ったとしたら、たとえ相方であっても、彼女に声を掛けようとはしなかったかもしれない。触れた途端、彼女が幻影のように指の隙間からすり抜け、二度と姿を見せなくなるのではないかと恐れたからだ。
ゴーン――ゴーン――ゴーン――
正時の鐘の音が頭上から響き渡り、この瞬間にかけられた魔法を払いのけた。信号の電子音や往来する車のエンジン音が再び希実の耳に流れ込む。初奈は空から視線を引き戻し、まるで最初から希実に気づいていたかのように優雅に振り返り、彼女の名前を呼んだ。
「のんちゃん……か――わ――い――い――!!!」
さっきまでのほんのり憂いを含んだ落ち着いた雰囲気は跡形もなく消え、希実が慣れ親しんだあの女好きの初奈が戻ってきたのだ。
初奈は優雅に希実に近づいてきた。初奈は事前に服装の色合わせをでめて、今日は薄色系のベージュのロングコートを着ており、襟元から黒いハイネックセーターの縁が見え、コートの裾から膝まである黒いストレートスカートと黒いタイツ、足元はなかなか凝った黒いピンヒールの革靴を履いていた。今日の希実は全体的なスタイルが可愛らしい学園風な格好で、初奈は二人が出会った日と同じ成熟したお姉さん風をした。希実はこの対比に特に悔しがったり劣等感を抱いたりはしなかった。可愛さこそが自分に最も有力な武器だということをすでに悟っていたし、それは初奈がこのように知性的でエレガントな服に似合うと同じことだ。
「ごめん、待ってた?」
「ううん~お昼に中華街をぶらぶらしてて時間を忘れてたから、さっき急いで来たんだ。もう少しで遅刻するところだったよ。」
マスクをしているので表情は見えないが、初奈の笑みが目尖から隠し切れずあふれ出て、希実も笑みで目を細めた。初奈は明らかなたれ目で、目立つ涙ぼくろとともに、希実の好みのタイプの目をしていた。初奈の日常の振る舞いはまさに猫そのもので、神秘的で真意が捉えないんだが、この目とそれに伴う垂れてる眉毛だけがいつも彼女の感情を丸出しにして、優しく落ち着いた大型犬のように見える。
軽く挨拶した後、二人はいつものように肩を並べて歩き、新港橋を渡り、10分もかからずに赤レンガ倉庫エリアに到着した。
「うわ……」
まだ午後だというのに、目眩がするほど長い入場列を見て、二人は声を揃えて感嘆の声を漏らした。
希実はあたりを見回し、最後尾の看板を見つけて並ぼうとしたが、初奈が突然そっと彼女の袖を引いた。振り返ると、初奈の眉はもう八時二十分の時計になっており、見えない耳としっぽもぺちゃんこになっていた。
「ごめん、早く来ればすぐに入れると思ったのに、まさか一昨日の夜よりも混んでるなんて……」
まさか一昨日の夜に下見に来てたのか……? 希実はツッコミの衝動を抑え、まず初奈を慰めることにした。
「今日はクリスマス・イブだから人が多いんだよ。それに早く来たからまだマシかもしれないよ、夜に来たら今の何倍も混んでるはず。」
「でも長い間並ばせちゃうと退屈じゃないかな……」
「大丈夫だって!ういちゃんと一緒なら明日の朝まで並んでもいいよ。」
「のんちゃん……♡」
初奈のエア耳が目に見えてピンと立った。希実はそれを見てほほえみ、彼女の手を取って列の最後尾へと歩き出した。
「昨日調べたんだけど、こっち側の一般列は向こうのアプリ専用列よりも早いらしいよ。こっちにおいで。」
初奈のしっぽも立った。
希実は今日の自分がなぜか特に積極的だったことに気づいたが、深く考えず、成り行きに任せることにした。昨日眠れない間、初奈との関係について寝返りを打ちながら考え続けていた。特別な日に(恐らく)特別な相手を特別な場所に誘い、何もないふりをする必要はもう全くない、何せよお互いも子供ではあるまいし。そして初奈の態度も明らかにそれを裏付けている。だから、無意識に誘いを即座に承諾した自分こそが、先に心の壁を下ろした方なのかもしれない。
希実は自分が初奈に好意を抱いていることを理解していた。一目ぼれとは言えないが、出会った日から、このきれいなお姉さんが彼女を深く引きついた。初奈には性別を超越した、いいえ、もはや人間性さえも超越した美しさがあると言えるだろう。そして共に活動するの間に、その可愛らしい、あるいは間抜けな側面もだんだん露わになり、尚更愛しくなった。二人はユニットを組んだ以上、一緒に過ごす時間がより長いだけでなく、意図的か無意識かを問わず、物理的にも精神的にも、相手に触れることがたくさんあった。二人のいい年の女性が日々これほど親密に過ごせば、いくら何でも少しは心が動くーー特に一人が絶世の美女で、もう一人が可愛さ全開ならば(自分でこういうのはやはり少し恥ずかしい)。しかし、この好意が恋愛なのかどうか、希実にはわからなかったし、まだ敢えて分かろうとはしなかった。なぜなら、もう2年近く共に働いているのに、初奈ーー花宮さんという人物に纏う霧はまだ晴れず、その正体を十分に理解していないと感じていたからだ。あるいは、彼女が一体誰なのかさえまだはっきりさせられていない、と言うべきかもしれない。彼女は親密でありながら距離を置き、大胆でありながら慎重で、奔放でありながら控えめだ。彼女の美しさは具体的ながら、儚いでもある。彼女は人間であり得るし、天使や悪魔、はたまた宇宙人、未来人、超能力者でもあり得るだろう。希実は彼女の実体を掴めずゆえに、自分の感情の実体も掴むことができなかった。だから今日誘いを招き入れることにした。初奈が積極的に攻めてくるこのチャンスを逃さず、彼女に触れ、彼女の知られざる一面を探り、自分自身のぼんやりとした不安な気持ちの正体を掴もうと試みたかったのだ。
これらの思いは希実が意識の最深部に埋めておいた。今はまず純粋に初奈とのクリスマスデートを楽しむ方がよっぽど大事ーーそのデートのプロローグが1時間半にも及ぶ長い列でありながら。
冬の夜はいつも早く訪れる。二人がようやく午後5時頃に入場した時には、すでに暗くなり始めていた。長い間並んだとはいえ、希実にとっては、この時間は初奈と少し話しただけであっという間過ぎ去ってしまったように感じられた。そしてマーケットに足を踏み入れた瞬間、二人は思わず感嘆した。
メインストリートの上空は平行に並んだネオンの帯で覆われ、一つ一つの微小ながらもまばゆいルーメンが夜空を飾り、聖夜の金色の星空を象嵌していた。歩道の両側には二列の白い尖った屋根のテント店が並び、近づく前から香り高いシナモンの匂いが漂ってくる。通路の先を見ると、キラキラと輝き、驚くべき存在感を放つ巨大なクリスマスツリーが見える。
マーケット内は人だかりで、気まぐれの散策というより、人波に巻き込まれて漂流しているようなものだった。希実ははぐれるのを心配し、とっさに初奈の右手首を掴み、人波の渦に飲み込まれようとしたが、突然温かい手が自分の手を覆い、手首から手のひらへと滑るように導き、そこに初奈の右手の指が待ちきれないように絡みつき、しっかりと固定された。希実は驚いて振り返ると、初奈の目が悪戯っぽく細まっていた。
「今人が多いから、はぐれちゃうのが怖いんだ。しっかりつかまっててね~」
希実は笑いながら初奈の手を握り返した。夜は少し冷えていたが、初奈の手は普段よりも少し温かく感じられた。自分はもうすぐ一人前の声優になるんだから、ただ手を繋いだだけで簡単に照れるわけがない、だって初恋の乙女でもないし。そう思いながら、希実はゆっくりと息を吐いた。白い息がマスクを通り抜け、マーケットの熱気の中でたちまち消えていった。初奈に視線を向けて、彼女は隣のホットドリンクバーを熱心に見つめ、目を輝かせていた。可愛いな。
「ういちゃん、まずここに並ぼうよ。私シナモンアップルティー飲みたい!」
「じゃあ~私はグリューワインを~」
気がつけば二人はそれぞれホットドリンクを一杯、カップケーキを一つ、ソーセージを半分ずつお腹に詰め込み、幸せなシナモンの香りを全身に漂わせながら、ようやくメインストリートを抜けてクリスマスツリー広場にたどり着いた時には、すっかり夜は更けていた。
「あ~まだまだ食べられそう。」
「あっちにもまだたくさん店があるから、またゆっくり見て回ろうよ。」
初奈はまだ物足りなそうな様子だった。もちろん希実も小さなカップケーキとソーセージの半分だけではお腹を満たすには物足りないと感じていたが、今はまずここに止まってクリスマスツリーの全景を一目見たいと思った。
メイン広場に設置されたクリスマスツリーは高さ10メートル、本物のモミの木だと言われており、茂った枝にはそれほど多く種類の飾りが付けられておらず、ただ皿のようにデカい銀色の八角形のスターがたくさん飾られているだけで、全体が非常に神聖な雰囲気を醸し出していた。木にびっしりと巻きつけられた電球は、今最もクリスマスっぽい金色と銀色が交じり合った光を放っているが、ここでは30分ごとにライトショーが行われるようで、さっきソーセージを買う列に並んでいた時、クリスマスツリーが赤、白、青の三色の光の帯に包まれて、まるで理髪店の入り口のサインポールそのもので、初奈は妙にツボってなかなか笑いが止まなかった。木の下には二つの願いの鐘が設置されており、この聖なる日に、やはりあまり聖なるとは言えない考えを胸に抱いたカップルたちが鐘を鳴らす列を作っていた。
人混みがあまりにもひどいので、二人の握り合った手は離れることがなかった。希実は自分の手のひらがもう温かさで汗ばんでいるのを感じたが、初奈の手はいつもさらっとしており、少し恥ずかしくなった。よく考えてみると、初奈はどうやら汗をかかないようだ。毎回のリハーサルやライブで、自分の前髪はよく汗で濡れて額や口元に張り付いているが、初奈は一滴も汗を流したことがなく、メイク直しも必要とせず、一日が終わってもまだいい匂いがしてた。本当に羨ましい体質だ。
「すごく高いな……この木のてっぺんに星を飾りたい……」
初奈のつぶやきが希実の耳に入った。彼女は興味深そうに尋ねた。
「ういちゃんの家のツリーも結構大きいんでしょ?螺旋階段を登って星をつけるんだって。」
気のせいか、初奈の目に一瞬ためらいが走ったが、すぐに答えた。
「たぶんだいぶ違うね……せいぜい3、4メートルだ。こういう大きなツリーに星を飾ってみたいなあ……」
なんという可愛い願いだ、と言いたいところだが、もし自分にそんな機会があれば、きっと絶対に逃さないから、さすがに初奈のことを言えない。家で妹と一緒に飾ったクリスマスツリーは大体人の背丈ほどしかなかったから、この見ただけで迫力満点のスーパークリスマスツリーには流石にかなわない。
希実が頭の中で家庭用クリスマスツリーと巨大商業用クリスマスツリーのサイズを比較している途中、初奈が目を泳がせ、言いたげで止めている様子に気づいた。よく見ると、彼女はやはり願いの鐘をちらほら見していた。初奈の臆病そうな表情と普段の落ち着いた様子があまりにも対照的で、希実はついに笑いをこらえきれなくなった。彼女はそっと初奈の手のひらを軽くつねり、誘った。
「鐘鳴らしてみようよ?せっかく来たんだし。」
初奈の目に映った驚き、興奮、困惑が、希実をもっと笑わせた。
二つの願いごとの鐘は高さ約2メートルの支柱に並んで吊るされ、それぞれ縄が垂れ下がっており、引っ張ると鈍いブロンズ色の鐘の音が鳴る。希実と初奈の番になった時、二人は握り合った手を離し、両手で縄を掴み、それから一瞬だけ視線を交わし、他に言葉を交わすこともなく、自分の前に目を戻した。この瞬間、初奈の無表情で、垂れた眉尻が何かを考えているようでもあり、ほのかな憂いを飲み込んでいるような顔を見た。希実は目を閉じ、黙って手の中の縄を引いた。
カラ、カラ。
希実は初めて神社にお参りした時のことを思い出した。それはある年明けのことだった。記憶の中の冬は今よりもずっと寒く、自分と双子の妹は手をつなぎ、両親に連れられて家の近くにあり小さな神社に初詣に行った。父が言ったのをうっすら覚えている、あらゆる神社は規模にかかわらず八百万の神々が宿り、あらゆる神様は持つ力の強さにかかわらず人間の願いを聞いてくださる、と。今になって思えば、両親は初めて神社へ連れて行く二人の小さな子供にとって、人混みの激しい大きな神社より、静かな小さな神社の方が安全だと考えたのかもしれない。希実は幼かった自分がどんな願いをかけたのか今時もう思い出せないが、背伸びをして神社の太い鈴緒を掴み、全身の力を振り絞って鈴を鳴らしたときの厳かな気持ちと、頭上から響いてきた古びたブロンズ色の鈍い音だけは、今も鮮明に覚えている。
カラ、カラ。
クリスマスツリーの下の願いの鐘は、自分の願いをサンタさんに届けてくれるだろうか? サンタさんはプレゼントの配達でもうすでに忙しいのに、自分の願いを聞く暇なんてあるんだろうか? むしろ、サンタさんただの親切な聖人であって、決して八百万の神々ではない。願いを叶えるなんて、本当にサンタさんの仕事の範囲内なんだろうか?
カラ、カラ。
初奈が縄を引く鐘の音が同時に聞こえてきた。これもきっと、願いが込められた音なのだろう。二人の鐘の音が重なり合い、徐々にどれが自分の鐘の音で、どれが初奈の鐘の音なのか分からなくなっていった。
カラ、カラ、カラ、カラ。
希実は悟った。あるいは、最初から分かっていたのかもしれない。今この時の願いというものは、そもそも神様へのお願いなどではなく、手の中の鈴縄、頭上に吊るされたブロンズの鐘、響き渡る鐘の音に託し、隣にいる人の心に直接届くものだ。
あなたを知りたい。
願いをかけた後、二人は暗黙のうちに広場の人のいない片隅へ歩き、照明のスポットライトを避け、肩を並べて明るいクリスマスツリーを眺めた。広場の喧騒はまだここまで届かず、どこに設置されているのか分からないスピーカーから、おなじみのクリスマスソングが微かに流れてくるだけだった。
『I don't want a lot for Christmas』
「のんちゃんは何をお願いしたの?」
「ういちゃんは何をお願いしたの?」
『I just want you for my own』
「秘密。」
「じゃあ、私のも秘密。」
『Make my wish come true』
希実の心の中のインジケーターランプが突然、何の予兆もなく点灯した。なぜか今が、初奈にプレゼントを渡すタイミングだと感じた。
『All I want for Christmas is you』
「ーーういちゃん」「ーーのんちゃん」
「……」「……」
「……メリークリスマス。」
希実が先に胸からワインレッドの封筒を取り出し、両手で初奈に差し出した。初奈は丁重に受け取り、何度も繰り返し愛おしそうに見つめ、それから自分もポケットから小さなプレゼントボックスを取り出し、両手で希実に渡した。
「メリークリスマス。」
手のひらサイズの四角い赤いボックスに、上質な深緑のリボンが巻かれ、中央には精巧な手結びの蝶結びがついていた。
初奈は得意げにういの舞を踊りながら、待ちきれないように尋ねた。
「開けていい? 開けていい?」
「うん、私も開けていい?」
「うん!」
希実はそっとリボンを解いて人差し指に巻き付け、包装紙を慎重にはがし始めた。初奈はすでに丁寧に整えた爪で器用に封筒の封蝋を開け、中からプレゼントを取り出すと、声にならない興奮した叫びを上げた。
それは非常にシンプルなデザインの真鍮のブローチで、全長約5センチの金属製の棒が本体で、真ん中に直径約1センチの楕円形のアメジストが埋め込まれており、他に装飾は何もなかった。初奈は手を伸ばし、ブローチをスポットライトの光柱の中に掲げた。水晶はたちまち火がついたように明るいスミレ色の光を放ち、真鍮の土台も魅惑的な金色の輝きを見せ、プレゼントを用意した希実本人も思わず息をのんだ。
「わい~梢ちゃんの色だ!」
「ヴィンテージショップで見つけたんだ。すごく綺麗で、ういちゃんに似合うと思って……えへへ。」
「ありがとう……♡」
初奈の控えめな声がだんだん甘ったるくなっていった。希実はまず手元のプレゼントを確認することにし、包装紙を注意深く開き、丁寧に畳んだ。中にはかなり上品そうな青いベルベットのジュエリーボックスが入っていた。希実は一瞬驚き、冗談の口調で尋ねた。
「まさか指輪じゃないよね?」
「指輪でもいいんだけどね~でも、もし指輪だったら、多分こうすると思うな~」
初奈はそう言いながら、ワクワクして空いている手で指輪のケースを開けてプロポーズする仕草をした。
もし突然指輪をもらったら、たとえ相手が初奈でも、少し躊躇してしまうだろう。そう考えた瞬間、希実が相手が特別な意味を持つ指輪を贈ることを前提に考えていたことに気づき、内心で苦笑いしながら、ボックスを開けた。中には銀色のネックレスが静かに寝ていた。彼女はネックレスを手に取り、初奈のブローチのそばに掲げ、ペンダントに飾られた水滴形のホワイトオパールが、スポットライトの下で不思議な七色のオーラを放つ様子をはっきりと見た。アメジストとオパールが互いに輝きを増し、希実は静かに見とれた。幼い頃からこうしたキラキラしたものが好きで、一目でアメジストのブローチを気に入った理由でもある。
希実は初奈の視線を感じた。自分が今、初奈の目にどんな表情で映っているのかは分からなかったが、おそらく陶酔し、幸せそうに見えているのだろう。こうしてやっと我に返り、初奈に言った。
「あ……すごく綺麗!ありがとう!」
「気に入ってくれてよかった。」
初奈はそっとブローチをいじり、片手で器用にピンを開け、それからコートの一番上のボタンホールに適当に留めた。
「どう? 似合う?」
「斜めになってるよ。今度セーターを着る時に付けよう。」
「え~今すぐ付けたいんだもん~このままでいいよ!」
初奈がそんなに愛おしそうにしているのを見て、希実は心からこれを選んだのが正解だと感じた。彼女はネックレスをケースに戻そうとしたが、初奈が突然手首を掴んだ。
「付けてあげようか?」
「…………え?」
希実が慌てて顔を上げると、初奈の目がキラキラで彼女を見つめていた。子犬のようなたれ目は輝き、見えないしっぽが飛び立つほどに振れていた。
そんな熱い眼差しで懇願されれば、希実は自分が最終的に抵抗できないことを悟り、降参することに決めてうなずいた。
初奈は満面の笑みを浮かべてネックレスを受け取り、チェーンのカニカンを開けて言った。
「おいで。」
希実は素直に初奈の前に近づき、少し首を伸ばし、上を向いて初奈の目を見つめた。
初奈は両手を希実の首の周りに回し、突然身をかがめて希実の耳元に近づき、息遣いよりも微かな甘い声色で言った。
「午後会った時、言おうと思ってたんだ……今日も同じ香水使ってたね。」
それから彼女は二歩下がり、希実を上下に見つめ、笑いながら言った。
「やっぱり似合ってるよ、本当に可愛いね。」
希実ははっきりと初奈の香水のバニラのベースノートを感じ、ぼんやりと初奈が笑っていることだけは理解したが、彼女がネックレスが自分に似合っていることを喜んでいるのか、それとも自分が恥ずかしそうに赤らめた顔を楽しんでいるのか、考えることができなかった。
そろそろ初奈の秘密を探る時が来たかもしれない。
でも希実はどうやって探ればいいのか分からなかったーー正確に言うと、二人の雰囲気が肉眼で見えるほど甘くなっているのに、彼女はまだ果たして軽率に探るべきかどうか考えがまとまっていなかった。こんな時になると、希実は自分が優柔不断に近いほどの慎重さを悔やむ。
その時だった。
「のんちゃん。」
「うん?」
「うちに寄ってくれない?見せたいものがあるんだ。」
カチッと、希実の頭の中の錆びた歯車が突然回り始めたーー狂ったように回転し、彼女の制御不能な意識を一瞬で天外へ飛ばした。今の希実の表情は、初奈から見れば宇宙猫ミームのように呆然として滑稽に見えたかもしれない。花宮初奈さん、あなたの攻勢はあまりにも突然で猛烈すぎて、こちら榆井希実は本当に太刀打ちできません。
人差し指に巻き付いたリボンがゆっくりと滑り落ちた。今回、希実は脱走した意識を追うのを諦め、ただ無言でうなずいた。
さらにバウムクーヘンを一切れ、チュロスを一本、ソーセージを一本、コーンスープを一杯食べ、様々なありとあらゆる雑貨を売る店を一通り見て回った後、二人は終電の一本前の電車に乗って東京へ戻った。
希実が初奈の様子がおかしいことに気づいたのは、JR駅を出て初奈の家に向かう途中からだった。
二人は手をつないで話していたが、希実はまず初奈の会話の反応がだんだんと散漫になり、歩く速度も徐々に遅くなり、最後には足を止めてしまったのに気づいた。
その時、通りにはすでに誰もいなくなって、二人はマスクを外していた。東京の深夜は夕方よりもさらにいくらか冷え込み、希実は白い息を吐きながら心配そうに尋ねた。
「ういちゃん、どうしたの?大丈夫?」
初奈は首を振った。
「ごめん……支えてもらえる?」
その時初めて希実は気づいた。初奈は手のひらがすでに冷たくなっているだけでなく、話している時に白い息すら吐いていなかった。
なぜもっと早く初奈が凍えてしまっていることに気づかなかったことを、彼女は内心悔やんでいて、そして急いで初奈の腕を自分の肩に乗せた。
初奈は苦しそうな表情で言った。
「ごめん……もうすぐ着くから……」
もしかして初奈は体調が悪いことに気づき、自分を呼んで世話をさせようとしたのか?初奈はどうやら一人で上京してきたようで、確かにここには頼れる家族がいない。そんな風に信頼されるのは嬉しいが、体調が悪いと言えばいいのに、なぜ遠回りするまで……でも今の彼女の状態はどう見ても自分が安心して世話できるものではなさそうだった。
「病院に連れて行った方がいいんじゃない?」
「ダメ……!お願い……病院だけはダメ、家に着けば治るから……信じて。」
初奈にそんなに断固として拒否されると、希実はもう何も言えず、ただ黙って彼女を支えながらゆっくりと進むしかなかった。
この感想は時宜を得ていないが、希実は初奈がとても重いことに気づいた。少なくとも、彼女の細くて壊れやすそうな外見からは想像できないほどの重さだ。もしかしたら彼女の身長と骨格、長年の鍛錬された筋肉が、知られざるうちに体重をこれほど増やしているのだろうか?幸い、希実はタレントとして基礎訓練たっぷり身に重ねて、小さな体躯に似つかわしくない十分な体力があり、何とか初奈を引きずって移動することができた。
ようやく、二人は初奈の家に到着した。これは非常に目立たない小さな一戸建てで、庭には何もなく、玄関には表札も掛かっていなかった。通りすがりに偶然目にしても、おそらく誰も気に留めないだろう。ここは以前蓮ノ空のみんなで訪れた初奈の家ではなく、来る途中で希実は気づいていた。この家は明らかにより狭く、より人目につかない場所にあった。しかし希実は今、余計なことを考える暇もなく、一刻も早く初奈を落ち着かせなければならない。
「ういちゃん、鍵はどこ?門を開けてあげる。」
初奈は返事をしなかった。希実がもう一度聞こうとした時、突然玄関のドアが自動で開き、それから初奈が言った。
「……入って……」
希実はものすごくいやな予感がしたが、初奈が自分を害するはずがないと考え、首を振り、初奈を部屋に支え入れ、振り返って玄関のドアを閉めた。
ドアがしっかり閉まる瞬間、希実の肩にかかっていた重みが突然増し、二人はバランスを失い、一緒に玄関に倒れ込んだ。
「ごめん!ういちゃん、大丈夫!?」
希実は初奈を守ろうと、無意識に自分を下敷きにした。転んでとても痛かったが、自分を顧みず、まず初奈の様子を急いで尋ねた。
初奈に反応はなかった。
希実は起き上がり、初奈を一時的に床に仰向けにさせた。初奈は意識を失っているようで、さっき家に帰る途中よりもさらにずっと重く、希実は昔小説で読んだ「意識を失った人はより重い」ということを身をもって体験した。
「ういちゃん?ういちゃん!?」
希実は迂闊に初奈を動かすことを恐れ、ただ彼女の頬を軽く叩き、名前を呼ぶしかなかった。
初奈は当然のように返事をしなかった。
希実はかつてないほどの焦た。なぜついさっきまで一緒に楽しくデートしていた人が突然気を失うのか理解できなかった。なぜ初奈の容態がこんなに深刻にひどく見えるのに、さっきまで何の前兆もなく、本人も一言も言ってくれなかったのか。なぜ?彼女は今日、これまでにないほど自分に親密に接していたのに、体調の不調さえ打ち明けようとしなかった。そんなに体調を隠しておきながら、なぜ自分を家に誘ってこのことをバレるのか。なぜ?初奈の行動が矛盾に満ちていて、希実は理解できなかった。
でも今はそんなことを考える場合ではない。救急車を呼ばなければ。希実は119番をかけようとスマホを取り出したが、突然電話がかかってきた。
発信者は「花宮初奈」。
希実は全身の毛が逆立て、反射的にスマホを投げ出した。
不気味な着信音は執拗に鳴り続けた。
ここに横たわっている人は紛れることなく花宮初奈だ。今夜はトイレに行く時以外、二人は一瞬も離れていなかった。それにさっきJR駅で、初奈はスマホでNFCをかざして改札を出たし、ついでに初奈のコートのポケットを確認してみたが、スマホは確かにそこにあった。幽霊?
しばらくして、スマホはついに諦めたかのように静かになった。希実はおずおずとスマホを拾い、画面を見た。そこにはっきりと「不在着信1件 花宮初奈」と表示されていた。どうやらこの電話は幻覚ではなかった。
「なんで……」希実はつぶやいた。まるでタイミングを見透かされたかのように、また着信音が鳴り始めた。やはり発信者は花宮初奈だった。
今回は希実は恐怖に耐えてスマホを投げ出さず、この電話はどうしても出なければならないと直感した。彼女は歯を食いしばり、応答ボタンを押した。
『やっと出てくれたね~』
受話器から初奈の気楽な声が聞こえてきた。
希実は手が震え、両足もがくっとし、スマホとお尻が同時に床に落ち、座り込んでしまった。
『のんちゃんごめん!びっくりさせちゃったね。』
「……ういちゃん?」
『うん。』
「じゃあここに倒れてるのは?」
『……私。』
「幽霊?」
『違う!本人なの。』
希実は状況を整理しようとしたが、さっきの会話は必要な情報に欠けているというより、むしろ愚かすぎて、頭をさらに混乱させた。
『のんちゃん、ごめん……全部説明するから。その前に一つ手伝ってくれない?たった一つだけ。』
自分は初奈が倒れたことでこんなに焦り、それから幽霊電話にこんなに怯えているのに、その相手がまさか条件を提示して自分を使おうとする。希実は憤然と初奈の身体を一瞥した。初奈の目はしっかり閉じられ、薄い唇は一直線に結ばれ、滑らかな肌は耳から喉にかけて鋭い顎のラインを描き出し、見慣れていても思わず胸が高鳴る美しい顔立ちだった。今の彼女は眠れる森の美女のように静かで、なめらかな肩までのショートヘアが床に広がり、普段よりもさらに脆く壊れやすそうに見えた。希実はそっと唾を飲み込み、さっき少し湧き上がった怒りはもう消え失せ、なぜかむしろ少し安堵さえ感じた。
「……『自ら』全部説明してくれる?」
『……『自ら』全部説明するわ。』
「……で、何をすればいい。」
『ごめん……まず私を部屋まで引きずってくれない?』
希実はため息をつき、自分が冷静で理性的だとこれ以上主張しないと心に決めたーーなぜなら自分はもうこの人のためにここまで投げやりになってしまっているのだからーーそれから初奈を持ち上げようと試み始めた。
玄関から部屋までの廊下は長くはなかったから、希実は力いっぱい何とか初奈を運び込んだ。暗闇の中でざっと見渡すと、カーペット、小さいテーブル、ソファ、本棚、クローゼットなど一般的な家具が見えたーーただベッドだけが見つからなかった。 ここはおそらくリビングだろう。
『まず私をカーペットの上に寝かせて、うん、そこそこ。』
「ふう……ういちゃん、一つ失礼なこと言っていい?」
『……私、重いでしょ?』
「……」
『後で説明する。あと一つの手順で、私が蘇るはず。』
「どうすればいいの?」
『…………………………』
電話の向こうは突然沈黙した。
ただ電波越しにむしゃくしゃしながら少し話しただけだが、希実は自分と話しているのはたぶん初奈本人だとぼんやり気づき、態度が少し和らいだ。
沈黙は続いた。希実は初奈の躊躇いの中に一抹の恥ずかしさが混ざっているのを感じた。まるでどうしても言いにくい苦しい秘密を抱えているかのようだ。彼女は気持ちを整理し、初奈に言った。
「ういちゃん、実はさっき少し怒ってたんだよ。ここまで来てまだ何も教えてくれないあなたに、ずっとあなたの裏側を私と分かち合おうとしないあなたに。でも、たとえういちゃんがここで一言も発さず横たわっていても、たとえ電話越しで姿が見えなくても、私はそれでも無意識にういちゃんを信じてしまっていることに気づいたんだ。今冷静になって考えてみると、ういちゃんがこんな常識外れでわけのわからない方法で私と話すのも、実はすごく勇気を出してるんだよね。ういちゃんも自分のやり方で私を信じようとしてるんだ。そうでしょう?」
電話の向こうは声を出さなかった――声を出さなかったのに、希実は初奈がそこにいて、唇を噛みしめて決意を固めているように感じられた。
長い間、初奈が言った。
『……カーペットの下にボタンがあるから、それを押すと……「とある」ものが見つかる。』
希実はカーペットの端をめくり、何の表示もない黒い円形のボタンを見つけた。指示通りにそれを押すと、目の前の壁に30センチ四方ほどのハッチが静かに開き、中には何か電子機器の赤いLEDが微かに点滅しているのが見えた。希実は手を伸ばしてそれを取り出し、よく見た。
このデバイスは手のひらよりも二周りほど大きく、とても薄いアイロンのようで、平らな面は銀色で、不思議な曲線を描いており、触るととても滑らかだった。もう片面は部屋に明かりがついていないためよく見えなかったが、リング状のインジケーターライトが数秒ごとに微かな赤い光を放っているのが見えただけだった。底面の端には親指ほどの太さのケーブルが付いており、ハッチの奥深くまで伸びている。
希実は子供の頃から読書が好きだった。ファンタジーを好むが、他のジャンルを全く読まないというわけではなかったーー例えば、SF。脳内劇場で自由に空想を巡らせる文学少女として、今手にしたヒントはすでに、常識をすべて覆す仮説を組み立てるのに十分だった。
『お願い……これを私に繋いで。』
「……どこに繋ぐの?」
『背骨に直接吸い付けるの。』
希実はめまいを感じた。
希実は初奈を支えて壁に寄りかからせ、ボタンホールからブローチを外し、そっとテーブルの上に置いた。それから初奈のコートを脱がせ、横に置き、再び初奈の眠る姿をじっと見つめ、なぜか心に慈愛の感情が芽生えた。彼女はそっと初奈の頬を撫で、小声で言った。
「……失礼します。」
さっき初奈が希実を家に誘った時、笑える話だが、希実の頭に最初に浮かんだのは。
今日新しい下着を着ていてよかった。
すぐに自分の思考があまりにも過激で飛躍しすぎていると自分を戒めたが、妄想の中であっても、相手の服を脱がせようと最初に手を出すのが自分だとは、まさか思いもよらなかった。
希実はまず初奈のハイネックセーターを脱がせた――理論的には脱がさず、ただめくり上げることもできたが、初奈がセーターを鎖骨までめくり上げている姿を少し想像すると、恥ずかしくて慌ててセーターを丸ごと引っ張り降ろしてしまった。中途半端に脱いだ状態の破壊力は、青臭い自分にはまだ早すぎるかもしれなかった。
暗い部屋の中で、初奈の裸の背中はこの世のものとは思えないほど白く、希実には深い鉱山の水晶鉱脈のように見え、微かに光を放って自分を呼び、息苦しさを感じさせた。希実は右手で初奈の背中の下着のボタンを探り、唾をごくりと飲み込み、数回深呼吸を繰り返し、ようやく勇気を出して器用に最後のボーダーラインを外し、初奈の背骨全体を一望した。
二人がステージ衣装を着ている時、希実は初奈の美しい肩甲骨を十分に見てきたが、このように背中全体を目の当たりにするのは初めてだった。希実はなぜか右手を伸ばし、中指と薬指を初奈の頚椎に当て、重力に任せて腕を脊柱に沿って下へ滑らせた。まるで残陽を演じる時に初奈が彼女の肘から前腕を撫でたように。初奈の肌は滑らかで傷一つなかったが、同時に冷たく、どこか見知らぬようだった。
ここまで来ても、希実はまだ常識を諦めなかった。手にした装置はただ初奈の腰痛を治療する赤外線治療器だったりして、さっきの霊的な現象はただの夢だったりとか。しかし、彼女が装置を初奈の背中に押し当てた時、接触面の奇妙な曲線と初奈の脊柱の自然な湾曲が瞬く間にぴったりと合わさり、しっかり吸い付いた。希実が必死に守ろうとしていた常識は、ついに崩壊した。
装置のインジケーターライトはマーメイドグリーンに変わり、さっきの待機時よりも少し明るい輝きを放った。同時に、希実がテーブルに置いたスマホの通話が切れ、コール音が数回鳴って消え、部屋は静寂に戻った。希実は初奈に向かって座り、初奈と同じように頭と体全体を壁にもたせかけた。それから少し前へ寄り、顔を初奈からわずかの距離まで近づけ、その寝顔を見つめながら深く考え込んだ。
自分は本当にうっかりして知るべきではないことを知ってしまったのかもしれない。でも本当にうっかりだったのか?今日、自分は積極的に誘いを受け、積極的にデートに来て、積極的に初奈の秘密を知りたがったーーと言いたいところだが、これらすべてを積極的と呼ぶのは少し無理がある。正確に言うと、それは初奈が積極的に誘いをかけ、積極的に誘惑し、積極的に秘密を暴露した。実質的な主導権は最初から最後まで初奈の手の中にあった。どう考えても正解はこれしかない。初奈は最初からこの驚くべき秘密を自分と分かち合おうと決めていて、自分は昨日何も考えずに誘いを承諾した瞬間から、もう引き返すfラストチャンスを失っていたのだ。
では、なぜ?
初奈のまつげが微かに震えはじめ、希実の思考を遮った。続いて眠れる森の美女の瞼がゆっくりと開き、二人は互いの息を感じるほどの距離で目と目を合わせたーー初奈が実際に呼吸しているかどうかは別として。普段なら希実が顔を赤らめて飛び退くはずの距離だが、今は信じられないほど平穏だった。
「こんばんは、のんちゃん。」
初奈がつぶやいた。再び目の前で聞き慣れた声を聞き、希実は計り知れない安堵を覚えた。
「ありがとう。」
「……ういちゃん。」
「うん。」
「なぜ?」
なぜ私なの?
希実は後半を言えず、ただ曖昧な質問を半分だけ投げかけることしかできなかった。
「……私は常理を逸脱した存在だ。最初から分かっていた。多分永遠に普通の幸せは手に入らないだろうって。でも、そんな私でも、衝動を感じることがあるんだ。近づきたい人もいるんだ。」
初奈は目を伏せ、悲しそうな表情を見せた。
「私はずっと海の中を泳ぎ回って身を隠し、ただ時々あなたに気づいてもらおうと少しだけ波しぶきをあげてみるだけだった。でも、それだけではもう満足できないことに気づいたんだ。あなたと一緒にいるためには、足を生やす以外に方法がない。今日私はただ、自分の運命のポーションを飲み干す決心をしただけなんだ。」
初奈は再び目を上げ、希実をまっすぐに見つめた。彼女の目は固い決意に満ちていたが、同時に一抹の恐れと、濃い不安も帯びていた。
「私の秘密を共有してくれる?」
「ーー希実。」
希実は初奈の深い瞳を見返した。暗い部屋に見えるのは、初奈とつながった充電器のインジケーターライトのかすかな呼吸だけだった。でも希実は暗闇の中で初奈の無機質な目をはっきりと捉えることができ、その目は今までどの目と目を合わせた時よりも澄み切って透き通り、同時に底知れないほど深く見えた。多分気のせいかもしれないか、それとも初奈がこっそりと何か人知れない秘密の機能を見せているのかもしれないか、希実は確かに初奈の目の中に、奔流のように流れる光をほのかに見えたーー微かな光の粒子がマーメイドグリーンの銀河となり、その傷一つない水晶玉の最深部で渦を巻いていた。つかの間に、希実は自分と初奈もその中で取るに足らない二つの光の粒子に化け、絡み合いながら永遠の果てへと駆け下りていくように感じた。
希実は深く息を吸い込み、それからできるだけゆっくりと静かに吐き出した。肺の中の空気が徐々に底をつくにつれ、彼女は心臓の鼓動が次第にはっきりと感じられ、常識外れの衝動が胸から首を通って頭頂まで突き上げ、彼女の脳を真っ白にし、両側のこめかみの激しい脈動だけが必死に彼女の意識を呼び戻そうとしていた。
希実はこの瞬間が実際にどれくらい続いたのか分からなかった。次の瞬間、口を開くと、自分が本当に熱に浮かされることを悟って、独り善がりであることも分かってしまった。
「私も、好きなんだよ。」
「ーー初奈。」
永遠に近い場所で、希実は初奈のかげぼうしを掴んだ。
「お疲れさまです、████。2023年12月25日月曜日、定時リモートレポート。異常なしです。」
『25日0時25分にオフライン警告を受信した。オフライン時間は18分 だった。』
「……そうでしたっけ?」
『その後再びオンラインした際、数回連絡したが、応答がしなかったよね。』
「……」
『やむを得ず今日のルートログとバッテリー履歴を確認したところーー』
「昨夜、のんちゃんを家に招いていました。」
『…………10分後に専用ルートで繋ぎ直せ。詳しく報告しなさい。』
「了解しました、████。」
