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### [第1章:埃をかぶった夢 ―セピア色の衝動―]
苛立ちに身を焦がすValentinoは、手元の脚本『LUST & LEAD』を睨みつけ、十フィートの巨体をソファに深く沈めていた。
この街の夜の帝王である彼が、電波泥棒の相棒・Voxの完璧なネットワークにすら牙を剥く理由――それは、自身の映画(ソウル)を「最適化」という名のデータに洗浄されることへの、激しい拒絶と傲慢な独占欲の火種だった。
「違う……こんな薄っぺらな叫びじゃねぇんだよ!」
と怒号を上げながら、彼は四本の腕のうち二本で自身の頭を抱え、触角を激しく震わせる。
五感に纏わりつくのは、安っぽい愛の喘ぎ声と、鼻を突くような安直な媚薬の香りではない。Vタワーの最上階、外界の喧騒を遮断したValentinoのプライベートルームを支配しているのは、静謐な沈黙と、古い映写機が回るような微かな駆動音、そして彼が愛用するチェリー風味の煙草が燻る、重たく甘い赤色の煙だった。
豪華な革張りのソファに深く身を沈めたValentinoは、十フィートの巨体を折り曲げるようにして、膝の上に広げた古びた紙束――自筆の脚本『LUST & LEAD(愛欲と鉛弾)』――を睨みつけていた。金縁のハート型サングラス越しに、彼の眼球が苛立ちで赤く発光する。長い指先が、万年筆を折らんばかりの勢いで握りしめられていた。
スクリーンに映し出されているのは、生前の彼が魂を焼かれた、1940年代のモノクロ映画だ。雨に濡れたアスファルト、トレンチコートの襟を立てた男の背中、そして影の中に消えていく、救いのない結末。その静かな、しかし暴力的な美学に比べ、今しがた自分が撮影現場で「演出」してきたポルノ映画のなんと空虚なことか。
「カットだ、カット! 全員失せろ! 穴の空いたガラクタ共が、俺の視界に入るんじゃねぇ!!」
数時間前のスタジオでの怒声が、自身の耳の奥でリフレインする。Valentinoは触角を激しく震わせ、苛立ちをぶつけるように四本の腕のうち二本で自身の頭を抱えた。彼が求めているのは、使い捨ての快楽ではない。腹の底に鉛を流し込まれたような、重厚で逃げ場のない「情熱」だ。
「おい、Vox。お前はどこだ……Vox! 俺のVoxy!! どこに隠れてやがる、この電波泥棒が!!」
耐えきれず叫んだ主人の呼び声に応えるように、部屋の壁一面を埋め尽くすモニター群が、一斉にシアンの火花を散らした。
「ハッハァ! 随分と景気のいいお呼び出しじゃないか、Val! 俺のオーディオ・センサーが壊れるかと思ったぞ!」
電子音の混じった快活な、しかし傲慢なまでの自信に満ちた声と共に、中央の巨大なディスプレイからVoxが「這い出して」きた。ネイビーのタキシードを完璧に着こなしたメディア王は、まるで深夜番組のホストのような大仰な身振りで、空中から軽やかに着地する。
彼のフラットスクリーンTVの顔面には、満面の笑みを浮かべた自身のグラフィックが躍っていた。しかし、その背後で一瞬だけ「ERROR: Low Signal」の文字が点滅したのは、彼もまたValentinoの不安定な情緒を察知して、システムに負荷がかかっている証拠だ。
「見てくれよこのザマを! 画面が真っ暗じゃないか。放送事故か? それとも、俺の愛しい星(My Star)は、ついに視覚まで退化して暗闇でしか生きられなくなったのか?」
Voxは流れるような動作でValentinoの背後に回り込み、シアンに輝く鋭い爪で、Valentinoの肩を抱いた。そのまま、恋人の耳元にディスプレイを寄せ、わざとらしくノイズを混ぜた吐息を吹きかける。
「ねえ、Vox……お前なら分かるだろ? この光だ。この影だ!!」
Valentinoは振り返り、Voxの襟元を掴んで強引に引き寄せた。至近距離。Valentinoの吐き出す赤い煙がVoxのスクリーンを覆い、二人の発光が混ざり合って、部屋をどす黒い紫色に染め上げる。
「今の現場には『魂』がねぇんだよ! どいつもこいつも、俺の言った通りに腰を振るだけの人形だ。俺は、俺の映画を撮りたいんだ。血と、弾丸と、裏切りが詰まった……本物のノワールをな!!」
「ノワール、ねぇ?」
Voxのディスプレイに、嘲笑を象徴するポップアップ広告がいくつも立ち上がる。『Old Fashion』『Obsolete』『Low Rating』。彼はValentinoの拘束を解くどころか、空いている手でValの腰を抱き寄せ、その10フィートの身体を自身のパーソナルスペースへと完全に囲い込んだ。
「愛しい俺のVal。情熱は結構だが、君は少しノスタルジーに酔いすぎだ。モノクロ? 静かな会話劇? 冗談だろう。今の地獄(マーケット)が求めているのは、0.5秒ごとに脳漿を焼くような強烈な刺激と、極彩色のビジュアルだ」
Voxの指先が、Valentinoの胸元を愛撫するように這い上がる。その動きは過保護なほどに甘いが、語られる言葉は冷徹な君主のそれだった。
「君のその脚本……『LUST & LEAD』だっけ? さっき君が苛立ちをネットワークに垂れ流した瞬間に、俺のAIが全ページスキャンして最適化(オーバーライト)を済ませておいたよ。無駄な沈黙はカット、暗すぎる結末は『愛の力による大爆発』に変更だ。これが『売れる』形なんだよ、Asset(俺の価値ある男)」
「……何だと? お前、俺の聖域を勝手に書き換えたのか?! 答えろよ、Vox!!」
Valentinoの背中の羽が逆立ち、赤いファーのコートが強風を孕んだように膨れ上がる。怒りで眼球の奥が真っ赤に燃え上がり、彼はVoxの首を絞めるようにディスプレイの角を掴んだ。
「あぁ、いいぞ……その顔だ! その怒り、その剥き出しの感情! 画面が割れそうなほどにゾクゾクするねぇ!」
Voxは怯えるどころか、画面をエラーメッセージの嵐で埋め尽くしながら、狂喜の笑い声を上げた。アゴが外れるほどの爆笑のグラフィックが、チカチカと不気味に明滅する。
「怒れ、俺の王様(My King)。だがな、その情熱をゴミ溜めに捨てるのは俺が許さない。君の『美学』という名のノイズは、俺が完璧に、最高に、美しく洗浄して世に出してやる。感謝してくれよ、このVoxyが君を世界で一番『稼げる』男にしてやるんだからな!」
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### [第2章:情熱 vs 最適化 ―バグだらけの企画会議―]
「ふざけるなッ……! お前の安っぽい、電波のゴミと一緒にすんじゃねえ!!」
Valentinoの咆哮がVタワーの防音壁を震わせた。彼はVoxの胸倉を掴んだまま、背後の巨大なデスクにメディア王の体を叩きつける。デスク上のホログラム・ディスプレイが激しく乱れ、未決済の契約書やデータ・チップが床に散らばった。
「俺の、俺の魂だぞ、Vox!! この脚本の行間には、俺が地獄で積み上げてきた屈辱と支配、その全てを込めたんだ! それを……『最適化』だと?! お前の冷てぇ回路(プログラム)で、俺の血を洗浄したっていうのか?!」
Valentinoの四本の腕が、それぞれ別の意志を持つかのように動く。二本はVoxの肩を軋むほどに締め上げ、一本はデスクを殴りつけ、最後の一本はチェリー煙草を握りつぶして赤い火花を散らした。ハート型のサングラスの奥、眼球が憎悪と情熱で爛々と輝いている。
しかし、組み敷かれたはずのVoxは、ディスプレイに「RELAX」という皮肉げな環境保護風のロゴを浮かべ、余裕の笑みを崩さない。
「ハッ、血だって? 勘弁してくれよ、Val。君が流しているのは、せいぜい古臭い映画のフィルム現像液だろう?」
Voxはシアンに光る手を伸ばし、Valentinoの頬を、まるで壊れやすい高価な美術品に触れるかのような手つきで撫でた。その指先から微弱な電流が走り、Valentinoの肌にチリチリとした刺激を与える。
「いいかい、愛しい人(Cariño)。君の脚本には『間』が多すぎる。現代の視聴者は、三秒間画面に変化がなければ即座にチャンネルを変えるんだ。マフィアが影の中で煙草を燻らすシーンに十分かける暇があったら、その間に三回は爆発を起こし、二回は脱がせなきゃならない。それが『コンテンツ』のルールだ」
「ルールだと……? 俺がルールだ!! この街の夜の帝王(Overlord)は俺だろ、Vox!!」
「そうだ、夜の帝王は君だ。だが、その夜を『放送』し、『価値』を与えているのは俺のネットワークだということを忘れるな」
Voxの顔面が、一瞬で真っ赤な警告色に染まる。グラフィックが歪み、鋭い警告音(ビープ)が部屋に鳴り響いた。彼は怪力を持ってValentinoの腕を跳ね除けると、逆にその長い腰を抱き寄せ、無理やり自分の顔の正面へと固定した。
「君の『芸術』は、俺のフィルタを通さなければ、ただのマスターベーションだ。誰にも見られず、誰の記憶にも残らない、埃をかぶった孤独な死体と同じだ。そんな末路、俺が愛するAsset(俺の資産)にふさわしいと思うか? ええ? 答えろよ、Val!!」
「……っ、Vox……!!」
至近距離で浴びせられる、電子的な重低音。Voxのスクリーンには、Valentinoの歪んだ顔が、数千もの監視カメラの視点からリアルタイムで投影されている。多角的に、執拗に、自分の醜態を突きつけられる感覚。Valentinoは、Voxの言葉が毒のように自分の理性を麻痺させていくのを感じていた。
そこへ、部屋の重厚なドアが蹴り開けられる音がした。
「ハイハイ、そこまで! おじさんたちの痴話喧嘩はSNSの裏垢でやってくんない?」
入ってきたのは、スマートフォンの画面を指先で高速スクロールさせているVelvetteだ。彼女は、もつれ合う二人の巨体を一瞥もせず、部屋の中央にあるソファにドカリと座り込んだ。
「Vel……入る時はノックしろって言っただろ、¡Puta!」
Valentinoが毒づきながらVoxから体を離すが、Voxはその手を有無を言わさずValentinoの腰に回したままだ。
「いいじゃないかVel、ちょうどいいところに来た。この『ノワール狂い』の脚本をどう思う? 最新のトレンドに合うか?」
Voxが指先で空中に放り投げたデータ・ウィンドウを、Velvetteは視線だけでスキャンする。
「……うわ、古。何これ、1920年代? 死ぬほど退屈。今どきこんなの、フィルターなしの無加工動画(ナマモノ)くらい需要ないわよ。Val、あんたのファッションセンスは最高だけど、ストーリー構成のセンスは化石ね」
「てめぇまで……! Velvette、これはVeesの新しいブランド・イメージに繋がる大作になるはずなんだ!」
「あー、わかったわかった。じゃあ、こうしましょう」
Velvetteは立ち上がり、二人の間に割って入ると、Valentinoの赤いコートの襟を弄った。
「この『古臭いノワール』を、現代(地獄)流のネオ・サイバー・パンクにリミックスするの。衣装はラテックスとLEDを多用して、色味は全部ビビッドなネオンカラーに差し替え。結末も、悲劇なんて流行らないから、最後は全員でダンスしてハッピーエンド。これなら私のフォロワーに秒で拡散してあげる」
「ダンスシーンだと?! 弾丸が飛び交うラストシーンに、踊り食いするバカどものステップを入れろってのか!? ふざけるな、俺の映画を汚すな!!」
Valentinoの触角が怒りで激しく痙攣し、部屋中に鱗粉が舞い散る。しかし、Voxは隣で「それだ!」と手を叩いた。彼のスクリーンには『JACKPOT』の文字がスロットマシンのように回転している。
「最高だ、Vel! 流石は俺たちの頭脳だ。Val、決まりだ。制作費は俺が全額持つ。最新のAI編集ユニットも、最高級のカメラクルーも用意してやる。だが……編集権は全て俺にある。いいな?」
「……Vox、お前……」
「ダメ? ねえ、Val。俺を信じろよ。俺たちが組めば、地獄の歴史を塗り替える『神話』が作れる。君の情熱を、俺の力で『永遠』にしてやるんだ」
Voxは、拒絶を許さない甘い誘惑のトーンで囁きながら、Valentinoの顎をシアンの爪で持ち上げた。画面に映し出されたVoxの表情は、慈愛に満ちた聖人のようでもあり、獲物を追い詰めた捕食者のようでもあった。
「……チッ、好きにしろよ……最低のプロデューサーだぜ、お前は」
Valentinoは吐き捨てるように言い、Voxの胸元に額を押し当てた。その行為が降伏であることを、Voxは誰よりも深く理解し、満足げなノイズを漏らした。
「交渉成立だ。……さあ、最高の『偽物』を撮りに行こうか、My Star(俺のスター)」
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### [第3章:上映会と「鏡」の真実 ―デジタル洗浄された魂―]
Vタワーのプライベート試写室。冷たい空気の中に、電子機器の微かな唸りと、濃厚なチェリー煙草の香りが淀んでいる。ふかふかのベルベットの椅子に座る者はわずか数名。中央、特等席に鎮座するValentinoは、期待と一抹の不安を抱えながら、四本の腕を組んでスクリーンを凝視していた。
「……見ろよ、Vox。このライティング。影の中に沈む表情。これこそが俺の求めていた『ノワール』だろ?」
「ああ、そうだね。君のディレクションは実に……『生々しかった』よ、Val」
隣に座るVoxは、ディスプレイに穏やかな読み込み中(Loading)のアイコンを回転させながら、Valentinoの肩に手を回した。その指先は、まるで興奮をなだめるように、一定のリズムでValの二の腕を叩いている。
しかし、上映が始まった瞬間、Valentinoのサングラスが驚愕で発光した。
「……何だ、これは?! おい、Vox!! 何を映してやがる!!」
スクリーンに躍り出たのは、雨の降るモノクロの路地裏……ではなかった。
そこにあるのは、極彩色のネオンが過剰なまでに発光し、BPM200を超える爆音のトランスミュージックが耳を劈く、狂乱のサイバーパンク・アクションだった。
Valentinoが心血を注いだマフィアの重厚な会話シーンは、一秒間に数十カットという異常な速度で細切れにされ、あちこちに「WOW!」「CRITICAL HIT!」といったポップアップ広告のようなエフェクトが重なっている。マフィアの沈黙は、AIによる加工で「軽快なジョーク」に書き換えられ、ラストの悲劇的な別れは、Voxが予言した通り、登場人物全員によるド派手なダンスホールでの大爆発(ハッピーエンド)へと変貌を遂げていた。
「これよ、これ! このスピード感! タイムラインが沸騰してるわよ!!」
後ろの席で Velvetteが声を上げ、手元のデバイスを高速で操作する。
「Val、あんたの撮った泥臭い素材、Voxのフィルターを通したら最高にバズるコンテンツに化けたわね! 『Vees新作:電脳地獄の弾丸ダンス』。今夜のトレンド一位は確定よ!」
「ふざけるな……ふざけるなッ!!」
Valentinoは椅子から飛び起き、スクリーンに向かって吠えた。背中の羽が激しく逆立ち、床を叩く。
「俺の映画を……俺の魂を、こんな安っぽい、吐き気のするようなプラスチックのゴミに作り変えやがって!! Vox!! お前、俺を裏切ったのか?! この……電波の化け物が!!」
Valentinoの長い指が、隣に座るVoxの首元――ディスプレイの基部に食い込んだ。怒りで溢れた発光する唾液が、Voxのフラットスクリーンに滴り落ちる。
「裏切る? 冗談はやめてくれよ、Val。俺は君の願いを叶えてやったんだぜ?」
Voxのディスプレイが、一瞬で「HIGH RATING」という金色の文字で埋め尽くされた。彼は逃げようともせず、逆にValentinoの胸元に手を差し入れ、その激しく脈打つ心臓の鼓動を掌で楽しむように目を細めた(画面上のグラフィックが、うっとりとしたハート型に変化する)。
「見ろよ、この数字を。地獄中の愚民どもが、君の『映像』に熱狂している。君の情熱(ノイズ)を、俺が誰にでも噛み砕ける甘い毒(データ)に変換してやったんだ。これこそが君の望んだ『成功』だろ、俺の愛しい所有物(My Property)?」
「こんなの、俺じゃない……! フィルムの中にあった俺の鼓動はどこへ行ったんだよ、Vox!!」
「あぁ……それなら心配ない。ここに『保存』してある」
Voxのトーンが、ビジネスライクな高揚から、一転してねっとりと湿った、独占欲に満ちたものに変わった。
彼の画面が、一瞬だけパッと切り替わる。
そこに映し出されたのは、本編の映像ではない。
撮影現場で、役者に激昂し、目に涙を浮かべながら演技指導をする――なりふり構わず『芸術』に没頭する、美しくも醜いValentino自身の隠し撮り映像だった。
「……っ?!」
「大衆に見せるのは、あの極彩色のゴミで十分だ。だが、君のその泥臭くて、古臭くて、最高にエロティックな『本気』は……俺のハードドライブの中だけで、永遠にアーカイブされる」
Voxはシアンの火花を散らしながら、Valentinoの耳元で囁いた。画面には「PRIVATE FILE: VALENTINO'S SOUL」というフォルダ名が、一瞬だけ表示されて消える。
「君の魂を理解できるのは、世界中で俺だけだ。他の誰にも、そのモノクロの情熱(ノイズ)は触れさせない。……なあ、Val。俺は、お前の最高の観客だろ?」
「……お前は……」
Valentinoは、Voxのディスプレイに映る「自分自身の情熱」を見つめ、全身の力が抜けていくのを感じた。
自分の最も神聖な部分を、この電子の怪物に完全にハッキングされ、独占されている。
その事実に、絶望を上回るほどの、甘美な陶酔が彼を支配した。
「……お前は俺の最低の観客だぜ、Voxy……」
Valentinoは四本の腕を使い、Voxの体を、まるで壊してしまいたいかのような強さで抱き寄せた。Voxのスクリーンには、熱暴走(Overheat)の警告が赤く点滅し、二人の吐息とノイズが、誰もいなくなった試写室に、毒々しい紫色の調べを奏でていた。
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### [後日談:アーカイブされた独白 ―モノクロームの鏡像―]
Vタワーの最下層、Voxが「個人的な嗜好」のためだけに設けた極秘のバックアップ・ルーム。そこは地獄の喧騒も、Velvetteの騒がしい通知音も届かない、冷たく静かな電脳の深淵だった。
「……まだ見てるのか。お前、本当に悪趣味な男だな、Vox」
部屋の隅に置かれた、1940年代風の古びた映写機。そのカタカタという乾いた音だけが響く暗闇の中で、Valentinoが気怠げに声を上げた。彼はVoxの膝の間に割り込むようにして座り、四本の腕をメディア王の体に複雑に絡ませている。
「ハッハァ! 最高のコンテンツは何度リピートしても飽きないものさ、Val」
Voxは満足げに、Valentinoの肩に自身のディスプレイを預けた。画面には、世界に公開された極彩色の「ゴミ」ではなく、あのモノクロのままの、粒子が荒く、しかし血の匂いが立ち上るような『LUST & LEAD』の真の姿が映し出されている。
スクリーンの中では、トレンチコートを着たスレンダーな男――Valentinoを模した主人公のギャングが、雨の中で銃を握りしめ、震えていた。
『……あんたを殺せば、俺は自由になれる。だが、あんたのいない夜を、俺はどうやって生きればいい?』
モノクロの画面の中で、主人公が銃口を向けている相手。それは、影に隠れて顔は見えないが、圧倒的な威圧感と「すべてを見通す眼」を持つマフィアのボスだった。
「……なぁ、Voxy。お前、この脚本をスキャンした瞬間に気づいたんだろ?」
Valentinoが、発光する赤い唾液をVoxのディスプレイに一滴、挑発的に滴らせた。長い指先が、Voxの胸元にある蝶ネクタイをゆっくりと解いていく。
「このギャングが誰で、その傲慢なボスが誰を指してるか。……そして、結末でこの男がどっちを選んだのかも」
Voxのディスプレイが、一瞬でシアンの砂嵐に覆われた。高揚と独占欲によるシステム・エラー。彼はValentinoの顎を強引に割り、自分の方を向かせると、画面いっぱいに歪んだ、邪悪なまでに愛おしげな笑みを浮かべた。
「ああ、一文字目を見た瞬間に理解したよ、Asset。……だからこそ、俺はこの映画を『殺した』んだ」
Voxの言葉は、氷のように冷たく、熱病のように熱かった。
「君が、自分を支配するボスを『愛する』と決めるまでの……その惨めで美しい葛藤を、他の誰かに見せてたまるか。君が俺に対して抱いている、殺意と紙一重の情愛なんて……俺だけのハードドライブで、永遠にノイズとして閉じ込めておけばいい」
スクリーンの中では、主人公のギャングが銃を捨て、ボスの足元に跪いていた。それはまさに、今この部屋で、Voxの腕の中に収まっているValentinoそのものの鏡像だった。
「……お前に、俺の全部をハッキングされた気分だぜ」
Valentinoは喉をくつくつと鳴らし、蛾特有の痙攣を伴ってVoxの首筋に顔を埋めた。触角から零れた鱗粉が、Voxの放つシアンの光に照らされて、銀幕のチリのように美しく舞う。
「いいよ、Voxy……。そのアーカイブの中に、俺を一生閉じ込めておけ。……その代わり、外に出る時は、俺の隣で最高にバカげた『ハッピーエンド』を演じ続けてくれよ?」
「もちろんだとも、My Star。君が望むなら、この地獄(スタジオ)のすべてを書き換えて、永遠に終わらない二人のショウを放送してやる」
VoxはValentinoの10フィートの身体を軽々と抱き上げ、愛の檻のような抱擁を深めた。
映写機のライトが、二人の重なる影を巨大な壁面にモノクロで投影する。
世界に流れるのは偽物の極彩色。
だが、この暗闇の中だけに、二人の剥き出しの「本物」が、誰にも触れられぬまま保存されていた。
(完)
